人生に輝きを!

革と絵画と小説と詩と

他人軸と自分軸

昨日は何者になりたい宮森はやと氏の話をしたが、少し続きのようなものになる。ご容赦いただきたい。

 

何者かになりたい欲求というのは誰にでもあって、勿論私の中にも当然のごとくあるものです。

 

ただそれが、他人軸であるのか自分軸であるのかの違いだけであると思うのです。

大抵は多くのことを経験するに従い、自分のしたいことに沿って、進んでいくと思うのです。(特に芸術関連はそう出ないと、続かない一面があるのですが)

 

自分の表現したいこと、思想を表していきたい

それが自分独自の表現となる

人気が出る

 

という様な(まあざっくりしてますが)

大抵はこう言った流れですね。

これが芸術表現における自分軸での考え方となる訳ですが、宮森はやと氏はこの順序が逆で且つ『表現したい事』『独自の表現に変化していく』という、芸術においては重要な部分が欠落してしまっていて、完全な自分軸での動機がどこにもない訳ですね。他人軸だけが先行してしまっている。

 

こうなると表現の世界においては

只々茨の道でしかないわけなんです。

名だたる文豪や画家を見てみてください

有名になりたいというのが動機で表現に進んだ人なんてほぼいない訳です。

 

皆何かしら表に出したい思想なり、自分なりの美学考えがあって、それらが作品という目に見える形に変化している訳なのですが

 

宮森はやと氏は「有名になりたい」

という世相の欲しか見えてこない

これって表現の世界じゃやっていけないんです

だって有名になってしまえば、何者かになって

おしまい、な訳ですからね。

 

芸術で目標達成なんて、そりゃ安いもんです

そんだけの価値しかなかった、という事でしょう?

当然自分の表現に対する苦悩があって初めて

産みの苦しみを体験する訳ですから

名声が先とあってはそれも無い。

 

産みの苦しみも含めての芸術の楽しみなんですね。これを体験できないのはある意味残念というか、手段を間違っているとしか言えない訳です。

 

そもそも芸術は自分が軸にあってこそ

初めて絵でもなんでも形となって

現れてくるものであって

そこの最初の段階で他人、他者の視点が入り込むという事はないのですよ。

まあ彼の場合、そこがないので

別の意味で苦しむことになるのでしょう。

それはそれでいいんじゃないでしょうかね

でもね、名声なんてもの

他人からの話題がなくなればおしまい

 

今はデジタルコンテンツなんていうのは

大量消費大量生産となんら変わらない訳ですから。それをポップアートとして何かしらの原動力にできれば別なんですが、結局はそれも自分を原動力とする訳ですから、彼にはその昇華でさえも当てはまらない。

 

彼と似た描き方でアクションペインティング

というジャンルの表現がある訳ですが

それもいわば名声なしの衝動、慟哭な訳です。

 

手っ取り早く何者かになりたいというならば

会社員の方が早いですよ。

 

表現は自分の中のこらえきれない叫びを形にする訳ですから、頭っから幸福そのもので何の苦悩も無い者に他者を突き動かす程の衝動を湛えた作品を生み出せる訳がないのです。

 

産みの苦しみ、自分の苦悩の具現化によって

自殺を遂げた芸術家は多くいます。

私もその一歩先まで踏み込んだ事があります。

だからこそ安易に茨の道を進む事はやめてほしいのです。表現はうつを誘発します。小説でも同じです。

 

芸術は苦しみの昇華であって

決して名声を手っ取り早く得られるだとか

何者かになれるだとか

そんな安いものではないのです。

他人軸だけでは成り立たない世界なのです。

 

苦しみを避ける事も出来ない

むしろ立ち向かっていくしかない世界に

飛び込んでしまったら、それは地獄ですよ