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BANANA FISHアニメ最終回を語る。英二とシン、アッシュを取り巻いた環境についての私感

BANANA FISH 最終回を見て、まあ結構ショックを受けまして

自分の創作物をギリギリの集中力で完成させつつある中原です。

 

恐らくこのブログの中で一番文章が長い記事になるでしょうから

そこはご了承願いたく存じます。

 

見終わった感想としては、アッシュ本人にとってはハッピーエンドであったのだから

あのラストで納得という感じですね。ショックであることに変わりはないんですが。

 

そしてBANANA FISHを語る上で、必ず現れるのが英二アンチ。

英二がいなければ、英二が弱点にさえなっていなければといった

よくありがちなタラレバ論ではありますが

私はこうも考えます。

 

英二がいなくても、あの物語ではアッシュはあの通りに行動し

(ファインダー越しに英二がいないだけであって)

バナナフィッシュ、というものの存在を追いかけたと思います

(推測するまでもないでしょう)

 

いない場合のIFであっても、そこでキーとなってくるのがショーター、ユエルンですが

ユエルンは別として、ショーターの幕引きは英二の存在があってもなくても

必然的であったように思うのです。

 

マフィア、ギャングの暴力で成り立っている社会の摂理として

ボスのそばにいる人間を狙って一時的に弱体化させることは当然と考えるからです。

オーサーもいますから、その時点では全く同じように事が進んでしまうと考えます。

 

ユエルンに関しては、嫉妬心が強いので、それが英二であったからこそ加速したという側面もありますが、いなかったらいなかったで、別の存在を英二的な存在に投影し、暴走していた可能性も無きにしもあらずです。

 

アッシュにとって英二との出会いは

はるか昔に失ってしまったグリフィンが与えてくれた愛を再確認するものではなかったかと思います。愛着障害を持ったものが関係性を修復するような過程と似ているような、そんな感じです。

 

英二がいなければ、恐らくですがゴルツィネの元に戻った後、死人の様に生活し、食事を拒否して弱っていき、結局どこかのタイミングで死を迎えていたのではないかと推測します。

 

英二が関わるタラレバ論はすなわち、アッシュにとっては最悪のバッドエンドであり

それこそ本当に救いのない物語になっていただろうと思います。

(そして名作になどなりえないものになっていたのではないかと思います)

 

そして、英二が女なら〜という意見もありますが

ブロマンスでなければ成り立たない物語の性質を考えると

アッシュがアニメの中で語った様に、昔付き合っていた女の例に漏れず、早々に幕を引いていたでしょう。男同士だからこそ、成立し得た物語であると考えます。

 

もともとマフィア、ギャングの世界は男中心の社会。

仁義、その他もろもろ、男同士が大切にし得る要素で回っているものであり

悲しいことに女性は跡継ぎをどうにかしてくれる存在、という様に蚊帳の外に置かれている事が殆どです。

 

アッシュという存在の前に、ゴルツィネとブランカがいなくてはまず

アッシュは生き残れなかったのだろうと思います。それこそ数多く居るストリートキッズの一人に過ぎなかったろうと思います。伊部さんや英二が取材対象にするような存在にも慣れていなかった可能性さえあります。

 

BANANA FISHはアッシュと英二の物語でもありますが

アッシュという基礎を作ったゴルツィネとブランカの物語、そして英二、シンにとっては未来を形作る物語になったのだろうと思います。

 

まずマフィアの歴史は息苦しいものであり、その基礎の殆どが

シチリアマフィア(イタリア シチリア島を中心とした組織であり、マフィアの祖ともいえる。もともとは自警団がきっかけで出来た組織)の掟を汲み取っています。

 

ゴルツィネはコルシカマフィアのボス。

フランス領と国は違えどマフィアの掟『オメルタ』を無視する事は出来なかったであろうと思います。子供という跡継ぎを作り、組織を繁栄させていく事。オメルタ(に近い)掟を守るという意味では、彼も板挟みの状態にあったのではないかと思います。

そこでアッシュに目をつけるのは必然であったのではないか、と。

 

物語上の性的指向から見るに、ゴルツィネは女を持つ性質ではなかった。

だが、腐ってもマフィアの一員であることから跡継ぎが必要になる。

多分このマフィアという狭い社会の中での焦りは、一般市民には到底上っ面を撫でる事しか出来ない物凄い苦悩であった事でしょう。躍起になるのも無理はありません。

 

人(アッシュ)は思い通りにならない。それが愛と執着がないまぜとなって、ラストシーンの最後のあがきと繋がるのです。あの炎に落ちていく直前の複雑な表情には、ゴルツィネがただの人畜非道な輩ではなかったという事を示しています。

(やったことは到底許されなくとも)

 

そしてブランカもまたどうしても人間臭く、良いエッセンスだったなと思うのです。

ユエルンに自身に足りないものを自覚させ、アッシュに生き残る術と助言、そして最終的な助力。作中の中で最も大人だったのはブランカだったと思うのです。

 

過去を乗り越え、一人の独立した人間として物語の中に立てた人間がブランカ一人だと考えるからですね。過去、という一つにおいてはブランカ以外の人間は皆、過去にとらわれてしまっている状態だった。

(英二もシンもアッシュもユエルンも、そしてその他キーとなる人物も)

 

人間は容易に自己完結できないからこそ

BANANA FISHという物語が生まれたのであって

人間同士の葛藤なしに生まれてはこなかった。

ブランカ以外に自己完結した人間がもう一人いたならば

全然違った物語になっていた事でしょう。

 

そこに作者の吉田先生の巧みさが垣間見られて私は好きなのです。

配置する人物のバランスが凄くとれている作家さんだなと思う訳で。

 

そうして光の庭へ進んでみても、シンと英二はまだ過去に捕らわれています。

アッシュという存在が永遠であると語りかけてくるのと同時に

人は簡単に変われない、変わる事が出来ない。だが痛みは乗り越えられるといったメッセージが含まれている様な気がしてならないのです。

 

そしてシンの人生は「夜叉」「イヴの眠り」へとつながっていく。

英二の人生はカメラマンとして、暁の支えとしてつながっていく。

 

物語の軸はアッシュであって、どの人物も欠かすことの出来ないエッセンスであり

こうした濃い物語が年々少なくなる中で、久しぶりに衝撃を与えてくれた良作であったと思います。(ちなみに漫画は全巻揃えてあります)

 

アニメは時代背景の矛盾もそれほど感じさせず

ぎりぎりの所で、余韻を残す終わり方をしてくださった事に

本当にお疲れ様でしたと言いたいです。

 

 

私自身でもマフィアの掟に翻弄されるボスの立場を書いた物語を書いた事があり

マフィアやギャングに関してはそれなりに知識はある方です。

ですがどうしても現実的になってしまって

BANANA FISHのようにはいかなかったなと

自身をもふりかえさせる物語でありました。